2019年に外務省が発表した海外に在留する日本人の都市別人口でアメリカのロサンゼルス(約69,000人)に次いで多いのがバンコク(約55,000人)だ。2016年に上海を抜いて2位に浮上して以来世界で2番めに日本人の多い都市の座を守っている。そして、バンコクの中でも日本人が特に集中するのがスクムビットエリア。とりわけ、BTSのアソーク駅からトンロー駅の半径3キロ程度のエリアにほとんどの日本人が住み、日本人向けの飲食店も集中して出店している。
このエリアに飲食店を出店する場合、同じ業態を多店舗展開することは難しい。商圏が狭いためお互いの店舗でカニバってしまうからだ。しかし、飲食店を経営する側の論理から言えば、狭いエリアに集中的に出店することで様々なメリットを享受することができる。日本人が集中する人気エリアに多業態で他店舗を展開することはバンコクの飲食店経営者なら誰しも考えること。
しかし、食材調達、人材、出店先の物件確保など必ずしも都合よく出店できるとは限らない。たとえ、店を構えることができたとしても、競合店がひしめくなかで、競争優位に立てる保証はない。バンコクは世界でも有数の日本食激戦区だからだ。居酒屋であれ、焼肉店であれ、寿司屋であれ、料理の品質はもちろん価格、サービスが競合店に見劣りすれば、顧客はすぐに離れていってしまう。
今回インタビューにご協力いただいたのは、2008年から10年以上バンコクで飲食店を経営し、現在日本食激戦区であるスクムビットのトンローエリアで5業態6店舗を展開する「隠れ家グループ」の浅本 亮さん。和風スパゲティから始まり、居酒屋、焼き肉屋などに多業態展開。さらに、日本人向け居酒屋からタイ人が90%を占める焼き肉店と顧客層の拡大と、単なるドミナント展開ではない成功の秘訣をうかがった。
ー最初にタイに来たきっかけは何でしたか。
浅本 亮さん(以下、浅本): 以前からタイに住みたいと思っていたんです。いまから20年前に20歳で初めてタイに来たんですが、その時にこの国面白いな、住みたいなと思いました。当時ドンムアン空港しかなかったんですが、市内に行くタクシーがムチャクチャで、飛ばしまくって、怖い怖い死ぬ死ぬと思って。そうしたら、目の前にパトカーがいたんですよ。よかったこれで減速すると思ったら「ノープロブレム」って言いながら、そのパトカーを思いっきりぶち抜いて行っちゃったんです。これがこの国は面白いなと思ったきっかけです。
その時は旅行だったんですが、大学の時に日本でビジネスをやっていて、ネット通販のサイトをやってました。その商材を仕入れに来たんです。遊び半分、ビジネス半分ですね。ヤフーオークションでヤンヒー病院のダイエットの薬とか当時流行ったガウクルアとかを個人輸入の代行というかたちで売ってました。
ーでは、飲食店をタイで始めた経緯を教えてください。
浅本: 大学を卒業したあと23歳から日本の信販系のクレジット会社にいたんですが、そこで飲食店との提携カードを売ってたんです。その時に当時日本で50店舗くらいの飲食店を経営していた会社に営業に行って、社長に提携カードを提案したところ、社長と仲良くなって。タイに住みたいという話もしました。そうしたら「じゃあ、俺がタイに店出してやるからお前行けよ」って話になったわけなんです。
そして2008年に、当時トップクラスだったショッピングモールのマーブンクロンに、和風スパゲッティの店「甚右衛門」の1号店を出しました。僕が来たときには工事は始まっていて、オープンからこのお店で働いてました。
ー最初にタイで飲食店をはじめた感想はどうでしたか。
浅本: 最初の半年間は全然ダメでした。パスタはアルデンテで提供していたんですが、硬いって怒られて、お客さんからクレームが来たんです。そこで、テーブルのランチョンマットに”うちのパスタはアルデンテです。”と、そして”アルデンテ”とはどんなもんかを英語とタイ語で説明を書いたんですよ。そうしたらプライドの高いタイ人ですから、クレームは来なくなりました。そしてトマトソースのうんちくとか、日本でやってるグループ店舗の説明とかをランチョンマットに書くようにしました。
そのうちにチュラロンコン大学の学生とか、ハイソ系のタイ人とかが来るようになって、続いてウワーッとタイ人のお客さんが来るようになりました。
ーその後、次々とお店を出して行きましたね。
浅本: 2009年の9月にエスプラネードに「甚右衛門」の2号店、10月にトンローエリアに「甚右衛門の隠れ家」(以下「隠れ家」)を出店しました。エスプラネードに出店したときには、会社として長期リース権を買ったんですが、僕に生命保険までかけられて連帯保証人になったりしましたよ。
エスプラネードの「甚右衛門」は同じ業態の2号店目ですが、「隠れ家」はパスタ屋がやってる洋食居酒屋という位置づけで出店しました。
ー「隠れ家」は日本人の集客がすごかったですね。
浅本: オープン当初は昼の営業に日本人の駐妻がどっと来ましたけど、ゆるやかに落ちていくんですよね。最悪のときは1日の売上が1卓だけで1680バーツって時もありました。そこで、悩んだ結果、とりあえず来てもらわなきゃということで、生ビールを29バーツで出したんです。そうしたらお客さんが来だして、個室もある、料理もまともだということを知ってもらえるようになったんです。
ーその後、トンローに移転しましたね。
浅本: もともと異業種業態をトンローに出店予定だったんですが、2号店オープンの5日前に「隠れ家」1号店が全焼してしまい、急遽移転という形になりました。
ー居酒屋業態に続いて焼き肉業態をオープンしましたね。
浅本: 和風パスタ業態は店舗ごと売却してましたので、居酒屋1店舗だけで営業してたんですが、例えば賃貸契約の更新ができないとか、火事とか、なにがどうなるかわからないので、2店舗はやっておきたいと思っていたんです。しかも、「隠れ家」の近くだと、既存のお客さんに一度だけでいいから来てくださいと誘導しやすいじゃないですか。それで、ソイ51に焼き肉業態としてオープンしたのが「燦(きらび)」です。
ー焼き肉業態に決めた理由はなんですか。
浅本: 黒毛和牛を安く仕入れるルートがあったんです。間違いなく今より値段を3割落とせると思いました。しかも、ビールを39バーツで出して、ビールの値段を気にせず焼き肉を食べられる。そういう店ができれば絶対当たるって確信があったんです。
ちょうどその時、某焼肉店のオーナー社長が「隠れ家」に来て、焼き肉やるんだったらうちから買えば?って言われたんです。でも、そのお店は330バーツで出してました。それをうちが仕入れたらそれ以上安くならないじゃないですか。その時、うちはオーストラリア産じゃなく黒毛和牛を290バーツで出そうと思ってるんですって言ったら、その社長に「そんなもんできるわけないじゃん」って言われました。そこで、焼き肉屋が無理だって言ってることをやったら絶対勝てると思いました。あと、絶対無理って言われたので頭にきて無理して290バーツにしました。
ーでは、焼き肉業態のお店も日本人がメインだったんですか。
浅本: 最初は90%が日本人のお客さんだったんですけど、いまでは全く逆転してタイ人90%になりました。最初10%しかいなかったタイ人のお金持ちがインスタとかにどんどんアップしてくれたんです。ネット上でプロモーションをやってる会社の知り合いからも「インスタにムチャクチャ載ってますよ」とか言われるようになったと思っていたら、爆発的にタイ人が増えてきたんです。タイ人向けプロモーションとしてタイのメディアにお金を払ったことはないんですけど。最初タイ人のお金持ちがSNSで発信して、そのあと中間層が来るようになったんだと思います。単価も落ちてきています。最初の頃はフェラーリとかで店まで乗りつけてきたタイ人が多かったんですけどね。
ーその勢いで焼き肉業態の2号店を出したんですか。
浅本: 1号店に急にお客さんが来るようになって、時間制で平日120分、土日祝日90分にしたんです。あと、予約も17時から以外は取らないようにしました。予約じゃなく店まで来て並んでくれと。でも、それじゃ日本人のお客さんは嫌がりますから、全室個室の焼肉屋をつくろうよということでソイ23に2号店を出しました。日本人はこっちに行ってくれって店を作ったんです。それがうまくいって、1号店にはタイ人、2号店には日本人って感じになっています。
ー「隠れ家」のトンロー移転後もすぐ近くに出店してますね。
浅本: 2018年の5月に「Lecrin55」を出店しました。ここに出店した理由は、「隠れ家」がいっぱいになった時に、受け皿が欲しいということです。あと、二軒目使いもできるという位置づけもあります。でも、元々の構想は僕が店が終わってから飯を食いに行く場所が欲しいということですね。だから日本から元「XEX TOKYO」のシェフを雇って、「隠れ家」よりレベルの高い料理を「隠れ家」より安く出してます。と言いつつ、今となってはドル箱店舗ですけどね。
次に2019年2月に「隠れ家」の目の前にホルモン焼肉の「平嶋」を出しました。ここは以前は串かつ「だるま」があって、そのあとしゃぶしゃぶと天ぷらの「しゃぶQ」が入りましたが、どちらも全然お客さんが入ってなかったんです。しばらくしたら、「しゃぶQ」のオーナーから店を買ってくれないかという話がありました。ここに「隠れ家」の強力なライバルが入るのも嫌だったんで、「燦」をやってる関係でホルモン屋をやりたいという気持ちもあり、「平嶋」を出店しました。
ーこのように集中出店するのはなにか戦略があるんですか。
浅本: 「隠れ家」の持ってるお客さんをかならず回せるっていう前提のもとに、二次会だったら「Lecrin55」行ってください、焼き肉だったら「燦」行ってください、ホルモンは「平嶋」行ってくださいって誘導できるように、メニューがかぶらない業態を集中して出店するように考えています。
ーそば業態はそれとは違った立地ですよね。
浅本: たまたまそれまであった蕎麦屋を閉めるって話があったこともありますが、「隠れ家」で出していた限定10食の手打ちそばがすごく人気があったんです。予約の電話を受ける時に「そばあるか」って聞いてくるお客さんも結構いて。それで、そば一本でもやっていけるかなという思いがあって、本格手打ちそばの「KANEHISA」を出店しました。いまでは、安い家賃なのに結構売っています。
ー新店舗を出店する際に特別なやり方があるそうですが。
浅本: まずは人ありきなんです。本当にデキる日本人スタッフを見つけて、まず半年から1年のあいだ「隠れ家」で働いてもらいます。そして、独立志向があるのなら、のれん分けとして新しい会社を作って株の10%をあげます。もし20-30%持ちたいのなら、無担保で貸して配当で返してもらいます。たとえ会社が潰れても、無理な取り立てをするつもりはありません。うちで働く日本人には40歳までに家を買えるようになれって言ってますよ。僕が1億稼いだら2番手は5000万貰えるように、その下はまた同じようにしっかり取れるように。そして全体で利益を出してなるべく多くの優秀なスタッフに配分したいと考えています。もちろん競争ですから全員には不可能ですが、日本で働くよりもっと大きなリターンを優秀な従業員には出してあげたいと思っています。サラリーマンやってても面白くないじゃないですか。
ーここまで繁盛店を作ってきた秘訣はなんですか。
浅本: 僕は敵も多いし叩かれますけど、これは他のお店ができないことをやってるから妬まれるだけなんです。だから他に負けないように努力し続けています。例えば、ファミリー客向けに土日は格安でお寿司が食えて、メニューにはピザもあって、帰るときにはおもちゃまでもらえて。こんな店他にないじゃないですか。接待で来るお客さんにも、山崎18年のハイボールを出せるようにしておくとか、山形のお客さんの接待だからどうしても日本酒の「十四代」を用意してくれとか、そこまでやってる店ありますか?他のお店は暇や暇やって言っているらしいですけど、僕からすれば「どこが暇なんやむちゃくちゃ忙しいやんか」と思いますよ。
ー今後の展開はどう考えてますか。
浅本: 今年の2月に「隠れ家 雫」というお店をソイ24に出店します。これは初めてのことですが、「隠れ家」と全く同じ業態を出すんです。撤退する居酒屋を居抜きで買うんですが、個室もあるし、スクムビットの偶数側ということなのでいいんじゃないかなあと思いました。
あと、トンローにある焼肉店を居抜きで買うことにしました。今年の3月にオープン予定です。焼き肉食べ放題の業態を考えてます。「燦」に来るタイ人のお客さんに、ブッフェやってるかってむちゃくちゃ聞かれるんですよ。だからブッフェやってみようかと。1000バーツでむちゃくちゃいい肉を出してやろうかと思ってます。いまは和牛290バーツと言ってもあちこち出してますからね。肉質には自信あるので。
ー本日はありがとうございました。
(取材=まえだ ひろゆき)
店舗データ
店名 | 隠れ家 離れ |
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住所 | Between Soi9-11 Thonglor, Sukhumvit55 Rd.,Klongton-nue,Wattana |
電話 | 082 796 2837 |
坪数客数 | 400平米 200席 |
オープン日 | 2009年10月 |
関連リンク | jinemon.com |