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インタビュー

【タイ発】自分が行きたいと思う店を作っただけなんです Karaoke Bar Woodball 後藤俊行(とっぴー)

タイ人のあいだでの日本食人気は相変わらず高く、日本からタイに進出してくる飲食店はいまだに後を絶たない。その多くがタイ人の集客を見込んで彼らの嗜好に合わせたメニューや出店先の物件探しに注力している。その一方で、タイに在留している日本人をメインの顧客として展開する日本人経営者も少なくない。

現在タイにおいて日本国大使館へ在留届を出している日本人の数は、2019年に外務省が発表した数値で75,647人おり、米国、中国、オーストラリアに次ぐ世界第四位の在留邦人数となっている。これに在留届を出さずにタイに長期的に滞在している日本人を含めれば、10万人規模の日本人が住んでいるのではないかとも言われている。

これらの日本人をターゲットにするだけでも相当な市場だが、そもそも今のようにタイ人が日常的に日本食を口にするようになる前の1990年代以前は、ごく一部のタイ人を除いて、日本食レストランの顧客はほぼ在留日本人だった。今よりずっと少ない20,000−30,000人程度の日本人を相手に商売をしていたことになる。

今回インタビューにご協力いただいたのは、2009年に日本人向けカラオケバー「ウッドボール」をオープンして以来、10年以上タイで活躍されている後藤 敏行さん。後藤さんは、カラオケバーにとどまらず、日本式カレー店、ラーメン店、居酒屋など様々な業態の飲食店を手がけてきた。そして、それらの店に共通していることは、後藤さん自身が行きたくなる店、日本人のお客さんが居心地のいい店。

今回はそんな後藤さんに、これまでの経緯などあらためてお話を伺った。


「ウッドボール」トンロー店



ータイに来たキッカケはなんですか。
後藤 俊行さん(以下、とっぴー): タイで働き始めたのは2004年です。もともと僕はタイから雑貨を輸入する仕事を日本でしていました。その仕入先担当者の奥様が、こちらで旅行代理店をしている方だったので、そのツテもあり最初は現地採用で旅行代理店に勤めました。でも、やはり現地採用の給料は少ないので、当初から独立して自分でやっていこうと思っていました。なにをやろうかいろいろと模索し、旅行会社として独立しようとも考えていました。ただ、いま考えると旅行会社はやらなくてよかったと思っています。いまはもうネットの時代ですから、個人経営の会社はバタバタ潰れていますからね。

「ウッドボール」パタヤ店



ーでは、どのような経緯で飲食店を始めることになったのですか。
とっぴー: 当時、僕と同世代の日本人が落ち着いて飲めるバーがあまりなくて、日本人がくつろげる日本風のバーを作ろうと思いついたのが「ウッドボール」を始めた動機です。

ーそれから「ウッドボール」はどんどん店舗を増やすことになりましたね。
とっぴー: 最初にシーロムに店をオープンしたのが2009年の5月30日です。その2年後の2011年にトンロー店をオープンしました。2009年の年末にはシーロム店の開業資金は回収しており、翌2010年には次の店の開業資金も溜まっていたので、早々に出店も考えていたのですが、そんな時に”赤シャツ騒動”が起きて、すべて計画が狂ってしまいました。シーロム店があったソイ6などは50mしかない距離に兵隊が50人も配置されていて、営業どころじゃない空気でした。そのため、トンロー店のオープンを2011年に延期しました。いま考えてみれば、赤字が出たのはあの年だけです。

「金沢ゴールドカレー」はタイに8店舗



ー「ウッドボール」以外にも飲食店を展開してますね。
とっぴー: 2013年から「金沢ゴールドカレー」をはじめました。「金沢ゴールドカレー」はそのあと、アユタヤ方面に向かう国道沿いのサービスエリアで24時間営業の店と、タマサート大学の近くに出店しました。特にショッピングモールの催事によく出店していたんですが、これがキッカケでシーコンスクエアから声がかかって、出店するようになりました。催事への出店は大変ですけれど、意味がありますよ。催事で人気が出ると、知名度も上がり、ショッピングモールからいい条件で声がかかるようになりますからね。「金沢ゴールドカレー」は現在は全部で8店舗を展開するようになっています。

ーなぜカレー業態を始めることになったんですか。
とっぴー: 僕は出身が静岡ですけれど、大学が金沢だったので学生時代に金沢カレーをいつも食べていたんです。こんなに美味しい金沢カレーを県外で出店すれば絶対ウケるなと、当時から思っていました。そして時が流れタイで商売を始めるようになって、そこそこ力をつけてきたので、「カレー屋をやろう」という気になりました。金沢カレーにもいろいろな店があって、どこの店を出そうかと考えつつ、本部にメールを送っていたんです。その中で「金沢ゴールドカレー」の社長が「ウッドボール」に飲みに来てくれて。その後、社長からバンコクで店をやってくれと連絡があり、開業することになりました。

「深夜食堂」



ーその後「深夜食堂」を共同経営で始められましたが、どのような経緯ですか。
とっぴー: 「ウッドボール」が終わったあとにみんなでご飯を食べに行っていた24時間営業の日本食レストランが、トンロー駅前のホテルの中にあったのですが、ある日突然営業時間が変わって、朝の5時オープンになってしまったんです。行くところがなくなっちゃった。 そんな時に寿司屋の「三陸」や焼肉屋の「東京XXX」を経営している吉田さんが「ウッドボール」に飲みに来て、いろいろと話をする中で、真夜中でも食事ができる店があったらいいねって感じで意気投合して店を一緒に出すことになったんです。

ーそのあと今度はラーメン業態も始めましたね。
とっぴー: 2014年の12月に「ウッドボール」のパタヤ店がオープンし、その翌年2015年に鶏白湯ラーメンの「七星」をシラチャにオープンしました。「七星」はトンローにタイ1号店がオープンしたときに、80バーツでこってりの鶏そばを出してるぞ、毎日満席なってるぞ、とすごい噂になっていて、自分でも食べに行ったんです。そうしたらむちゃくちゃ気に入っちゃって、何回も通う内に、フランチャイズやりたいなって思うようになったわけです。何回目かでちょうど社長がいて、フランチャイズをやらせてくれとお願いしたのが始まりです。本当はタニヤとかでやる予定だったのですが、場所がなくて結局シラチャになりましたけど。

鶏そば「七星」シラチャ店



ー「七星」は一時期話題になりましたね。なんであんな値段で出せるんですか。
とっぴー: 結局原価は一緒なんですよ。他の店で150バーツとか200バーツで出してるものを80バーツ出だしてるだけなので。

ーそしてラーメン業態に続き、カオマンガイ屋を出店されましたね。
とっぴー: 「東京カオマンガイ」は東京の神田にあってもう10年やっている店なんですが、現地採用で旅行代理店で働いていたときのお客さんが「東京カオマンガイ」の社長だったんです。その社長は飲食店とは全く畑違いの人だったんですが、タイに来てカオマンガイの美味しさに感動して、カオマンガイ屋を日本でやりたいと言われて。店長をやってもらう予定の日本人をタイに派遣するから、面倒見てくれないかと言われたのがそもそものスタートです。 それは「ウッドボール」を始める前の話なんですが、その後、「東京カオマンガイ」を日本から逆輸入するようなことができたら面白いねという流れになったのが発端です。

ーでも、「東京カオマンガイ」は閉店してしまいましたね。
とっぴー: 本当はフードコートに出店しようと思って始めたんですよ。ただ、どこのフードコートでも既にカオマンガイってあるんですよね。一つのフードコートに同じ業態は出せないですから、出店する先がないんですよ。新規のショッピングモールでもカオマンガイはもう既に決まっている事が多くて。それで、「ウッドボール」トンロー店並びのソイ53に路面店で出店したのですが、スタッフの確保の問題もあって、結局閉店しました。でもまだ機材とかは残っているので、どこかで復活したいと思ってます。

「深夜食堂」共同経営者の吉田さんと



ーカラオケバーに始まり、その後多業態を展開されていますが。
とっぴー: 最初に日本人が集まるカラオケバーとしての「ウッドボール」が当たったのもあって、日本人が多い海外の都市に「ウッドボール」を展開していこうと考えたこともありましたが、44歳になって、いまは自分が長く住んできたタイでもっと何かできないかなあ…と考えています。そもそもは、僕が行きたいと思っていたから”日本の曲が歌える日本人向けのカラオケバー”をつくったわけですし、どの店も、”僕が行きたい店”をつくっただけなんです。金沢カレーが食べたかったからつくったし、店が終わってからの真夜中に日本食を食べに行きたいから「深夜食堂」をつくったし、ラーメンも食べに行って美味しかったからFCをやったわけです。どの店も自分が行きたい店をやっただけなんです。そうしたら、みんなのニーズもあって、多くのお客さんに来ていただけるようになったんです。自分が行きたくない店をやってもしょうがないですからね。

ー今後の展開についてお聞かせください。
とっぴー: 僕が店を始めた10年前とかは、日本人が行くための居酒屋、ラーメン屋、カレー屋はいっぱいあったんです。だけど、この10年でタイ人の所得がどんどん上がって、タイ人のお客さんをつかむ日本食屋が当たるようになってきた。どこもタイ人客が多くなったんじゃないですかね。で、10年経って一周回ってきて、日本人だけの憩いの場が欲しくなったと思うんですよ。どこにいってもタイ人がワイワイいる店ばかりで、今度は日本人オンリーの店が求められていると思います。そこで、日本人のための小料理屋っぽいおでん屋さんをやろうと思っています。単身の駐在員が晩酌に行けるような店ですね。

バンコク飲食店大交流会の模様



ーバンコク飲食店大交流会の幹事をやってましたが。
とっぴー: 僕はタイ生活も長いし、飲食業を初めて10年経ったということもあり、飲食関係者を集めてなにかやろうと思っていました。同じく飲食店経営者の方からも、「他の誰かに任せるとまとまらないから、とっぴーがやってくれないか」と言われたので僕が先頭に立ってやることになりました。僕はボランティアでやっていましたが、みんなに横のつながりを持ってほしいという意図がありました。ここまでいろいろ出すぎたので、飲食店のことはとっぴーに聞けって存在になっても面白いかなとも思っています。

ー本日はありがとうございました。

(取材=まえだ ひろゆき)

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