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インタビュー

【ベトナム発】ベトナム・ダナンで注目を集める日本人経営者 瀬戸直樹氏にダナンの魅力と将来性について聞く

ベトナムといえば首都・ハノイか最大の経済都市・ホーチミンが有名だが、近年、ダナンというリゾート都市の注目度が高まっている。急速に魅力を増す同エリアを切り開いてきた日本人の一人が、瀬戸直樹氏だ。氏はダナンで「DaNang ISSUN Boushi 一寸法師2」を運営する傍ら、「さかな屋HANNOI」という魚の卸しと販売を行う店舗も運営している。現地の飲食マーケットはもちろん、社会情勢や経済動向などにも精通しているため、ダナン進出に当たって氏を頼りにしている日本人経営者は少なくない。今回、瀬戸氏にダナン進出のきっかけから現地の将来性、そして今後のビジョンまで訊いた。


――飲食業界に飛び込んだキッカケを教えてください。

小学生のころから、将来は寿司職人になると決めていてね。当時、寿司を食べられるのは、盆と正月くらい。だから、思い切り食べたくて寿司職人になろうと思ってさ。18歳から寿司の世界に入って、31歳まで「銭形鮨」という店で働いていたよ。

――その頃、すでにベトナム進出という計画はあったのですか?

いや、ベトナムに行くのは、まだ少し先の話だね。その頃、ちょうど次男が生まれたタイミングで栃木の実家に戻ったんだ。一回、飲食とは別の世界に飛び込んで、佐野市でトラックドライバーを3年やったりしていたよ。その後、デパートとかの催事に関わり出して「瀬戸コーポレーション」という会社を設立してさ。デカいホームセンターで「たこやき」とか「クレープ」の店をだしたりして、ビジネスが本当に好調だったね。それで、新しい事業として焼肉店を出店したんだけど、狂牛病が発生して全てが台無し。もう少し早めの決断ができたら結果は違ったのかもしれないけどね。結局、3億の負債を残して会社は倒産。家族もバラバラになってしまったんだよ。

――波乱万丈の人生を歩んで来られたのですね。

そうかもしれないな。学生のころには、ちょっとヤンチャなグループのまとめ役だったし、過激な団体にも入ったことがあるからね(笑)。一家離散した後も硫黄島で米軍とか自衛隊を相手にコックをしたり、ロンドンに行ったりしていたよ。最終的には、かつて勤めていた「銭形鮨」でまた働き出して、自分が出来ることに精いっぱい打ち込んでいたな。

――その後、どのようにしてベトナムにたどり着くのですか。

DSC_0716_1_650ベトナムに行くようになったのは2005年ころから。2007年には、自分の店をハノイのチュックバック通りに構えて、一日35万円の売上を叩き出すこともあるよ。寿司はもちろん、ラーメンとかの日本食も提供していたな。また、「さかな屋HANOI」という店も始めたのも、このころだね。ユーテックという会社と提携して魚の空輸を始めてさ。当時は超低温の技術がなかったから、独自の冷凍法を編み出して、店頭での販売や日本食レストランへのデリバリーなんかもやっていたよ。

――そこから一気にダナンまで店舗が広がっていくのですか。

いや、実を言うと、その店は2009年に閉店してね。今は13,000人いるハノイの日本人登録者も、当時は2,000人くらい。まだ日本食の文化も本格的に根付いていなかったから、色々と早すぎたのかもしれない。ただ最大の原因は、言葉だな。これからベトナム進出を考えている方へのアドバイスにもなるけど、通訳を信用しすぎたらダメだね。確かにベトナムの人たちは、温厚で真面目だけど、そこだけしか見えていないと商売で成功するのは難しいよ。ベトナムの人が会社を設立する場合と外国人が設立する場合で登記にかかるお金が違ったりするから、商文化の違いを踏まえた上で、自ら交渉していく姿勢が欠かせないかな。現に、自分でベトナム語を覚えてからビジネスを始めた日本人経営者は、成功までのスピードが速いからさ。

――ダナンに進出したのは、いつ頃の出来事ですか。

DSC_0589_650「DaNang ISSUN Boushi 一寸法師2」をダナンに出したのが2015年4月26日だから、今から2年前だよ。「さかな屋HANOI」で扱っている魚をダナンから仕入れていたという縁もあって、その前から知っていたんだけど、ダナンで店をつもりはなかったな。でも、せっかく新鮮な魚を扱っているから、それを提供できる飲食店もやりたくなってさ。生のマグロを一本、日本から持って来られるのは、うちくらいだしね。ただ当時、お金がなかったから、内装に掛けたのは20万円くらい(笑)。自分で手作りしたり、人からもらったりして、少しずつ店を作り上げていったんだ。

――どのような特長を持つ店なのですか。

店では、寿司を中心にラーメンやカツ丼、天ぷらといった日本食を提供しているよ。お客さんは、ベトナムの方が40%で一番多いね。それ以外は、欧米の方が20%、中国と韓国からの方も20%で、日本人は15%もいればいい方かな。ダナンでの日本人登録者が300人くらいだから、それくらいの数字が妥当なのかもしれないね。ただ最近、「モリト」や「ダナンマブチモーター」といった日系企業の方々が接待で利用してくれるので、日本人のニーズは増えているよ。

――ダナンのマーケットの特徴を教えてください。

DSC_0702_650ダナンは、急成長をしている街だね。ダナンとホイヤンという都市を繋ぐモノレールも建設予定だし。外国人旅行客もたくさんいて、特に中国と韓国からの観光客が目立つかな。日本からダナンへの直行便は週に一便しかないけど、韓国からは多くの直通便が出ているし、中国からも3000人規模のフェリーが週に二便来ているからね。ただ4月から10月の観光シーズンは売上が良いけれど、それ以外の雨季に当たる時期は売上が厳しいかもしれない。ホテルも10月を過ぎると売りに出されて、従業員をみんなクビにするケースも珍しくないからさ。

――近年、日本からの旅行客も増えていますか。

今年の3月に天皇陛下が来られてベトナムの注目度が高まったし、日系資本の「ブロッサムシティ」というホテルが建設中だったりしているけれど、ダナンの日本人の数は増えていないかな。日系企業の進出がひと段落着いた影響もあるかもしれないね。

――最後に、瀬戸さんの今後のビジョンを教えてください。

DSC_0773_650想いやりのある商売がしたいし、おいしい酒を楽しんでもらいたいし、そういう環境をダナン全体で整えていきたいね。うちは「いも一」という焼酎を扱っているベトナムのフエにある会社の代理店をやっていて、飲食店に酒も卸していてさ。日本酒の管理方法などもあまり知られていないから、啓蒙を行なったりしながらやっているんだよね。日本と同じように、ダナンでも本物の飲食店しか残らない。「DaNang ISSUN Boushi 一寸法師2」を出店したとき、周辺には色んな店があったけれど、今でも残っている日本人経営者の店は、うちと「Burger Bros(バーガーブロス)」くらい。でも、みんなと一緒に何かをやる方が面白いからね。だからこそ、協力できるところは協力し合いながら、街全体を盛り上げていけるように取り組んでいきたいと考えているよ。

――本日は貴重なお話をありがとうございました。


瀬戸直樹(せと・なおき)氏プロフィール
DSC_0768_650「DaNang ISSUN Boushi 一寸法師2」総長、「さかな屋HANNOI」特攻隊長。
1958年生まれ。18歳のころ「銭形鮨」の門を叩いて、寿司職人としてキャリアを積む。その後、トラックドライバーや企業家などを経て、2007年にハノイに自らの店をオープンさせると同時に「さかな屋HANOI」という魚の卸しと販売を行う店舗も立ち上げる。2009年に飲食店を閉店させた後、闘病などもあって、一時経営の一線からは退く。健康を取り戻してからは、2015年に「DaNang ISSUN Boushi 一寸法師2」をダナンにオープン。現在、ダナンのマーケットに精通した日本人経営者として、広く知られている。

(取材=三輪 ダイスケ)

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