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インタビュー

ホーチミンで、日系飲食店の新たな歴史を切り拓く。「Imotaro(いもたろう)」と「BBQ酒場 Nikutaro(にくたろう)」で市場を席巻する吉村真太郎氏の軌跡に迫る

日本人街が形成されているホーチミンのレタントン通り。そこで、ひときわ注目を集めているのが「Imotaro(いもたろう)」と「BBQ酒場 Nikutaro(にくたろう)」である。オーナーの吉村真太郎氏は、2012年8月にホーチミンに進出すると、ベトナムのマーケットにアジャストしながら、現地の日本人はもちろん、ホーチミンの人たちにも受け入れられる飲食店を作り上げてきた。現在、共同経営というスタイルで、カンボジアのプノンペンにも進出している。今回、吉村氏にホーチミン進出のきっかけから現地ならではの特長、そして今後のビジョンまで訊いた。


――フードビジネスに参入したきっかけを教えてください。

13383346_1011820268872457_1283616351_o600飲食業界に飛び込んだのは、30歳のころです。大学卒業後は、旅行好きだったこともあり、大手旅行代理店に就職をしました。ただ大学時代にコロワイド(神奈川県横浜市、代表取締役 蔵人金男氏)が展開する「甘太郎」でアルバイトをしています。当時、料理のほとんどが手作りです。厨房で働きながら、レシピや調理の勉強をしていました。また、総合居酒屋が勢いをつけ始めた時代だったので、出店ラッシュの真っ盛りです。そのため、よく新規店舗のヘルプにも駆り出されていましたね。フードビジネスとは何なのか。それを学んだのが、大学時代のアルバイトだったと言えます。

旅行代理店から飲食業界に舵を切ったのは、ある本との出会いからです。それが作家の高杉良氏の「青年社長」でした。ワタミの渡邉さんをモデルにしたストーリーに、すごく刺激を受けました。自分もこのような人生を歩みたい。そう思って、3年半で旅行代理店を退職しました。

独立までは紆余曲折がありました。開店資金を貯めるため、昼は別の事業を行いながら、夜は学芸大学にあった「闇市倶楽部」でアルバイトもしています。そして30歳になった2007年に「いもたろう」を五反田にオープンさせることができました。

――なぜホーチミンに進出しようと考えたのですか?

13389260_1011820342205783_162223784_o600もともと40歳で海外進出というビジョンは抱いていました。具体的に動き出したきっかけは、人との縁からです。2011年当時、「いもたろう」の内装を担当したデザイナーの方が、ホーチミンで店舗のデザインをしていました。実は、私は旅行代理店に勤めているとき、成田からホーチミンへの直行便就航に携わっていた経験があります。そのため、デザイナーの方の話にとても興味を持ったのです。一体、どのような店になるのだろうって。だからオープンしてからホーチミンに見学に行きました。

およそ10年ぶりに訪れたホーチミンには、とても驚かされました。想像以上に大きな変化を遂げていたんです。飲食店も盛り上がりを見せていて、現地人も日本人も一緒になって賑わっている。中でも「浦江亭」の繁盛ぶりには大変刺激を受けました。日本風のデザインで、大バコを満席にしていましたから。自分もホーチミンで店を出したい。そうした光景を見たとき、強く思いましたね。

それ以来、ホーチミンに足繁く通いました。現地のマーケットを探るため、食べ歩きをしながら、現地に住む日本人の方々に話を聞く。それを通して、日本にいるよりもチャンスがあると感じて、ホーチミンへの進出を決意しました。

――お店の特長を教えて下さい。

IMG_0393600ホーチミンの「IMOTARO(いもたろう)」は、2012年8月にオープンさせました。この立地を選んだのは、ベトナムの方だけをターゲットにしたら勝負できないと感じたからです。「レタントン通り」は日本人街のため、日本人向けのレストランも数多くあります。ベトナムの方はもちろん、日本人にも受け入れられるようにして、徐々にホーチミンに根付いていけるように工夫しました。

店のキラーコンテンツは鍋です。もともとベトナムには、日本と同じようにみんなで鍋を囲んで食べる文化があります。そこで、ベトナム人向けに日本の鍋をカスタマイズして、展開することにしたのです。店は、4名様などのグループで来店してもらう設計にしました。6種類のスープから2種類を選んでもらって、肉や魚、野菜の盛合せをオーダーしてもらう仕組みになっています。

2014年8月には、BBQ酒場「NIKUtaro (にくたろう)」を同じビルの3階にオープンさせました。現地でもまだ珍しい七輪炭火焼を使い、提供する肉も厳選した和牛です。ジャパンクオリティにこだわることで、本物の日本食レストランを現地に根付かせたいと考えています。

――ホーチミンならではの苦労はありますか?

まず物件を押さえるのに苦労しました。「物件が出ましたよ」と連絡をもらって、「今度、内見に行きます」と言っても、他店で決まってしまうケースが続いたのです。そこで、自分の頭の中でホーチミンの地図を詳細に思い描けられるようにして、物件が出たら、まずは押さえることにしました。次回、ホーチミンに行ったときに実物を見て、もしイメージ通りの物件ではなかったらキャンセルしよう。そのような方法を取らないと、物件を決めることも難しかったですね。

また、スタッフのサービスについても文化の違いがあり、苦労しました。そもそもホーチミンの方々には、接客という概念が通用しません。だからこそ、まずは私の方から彼らに歩み寄り、コミュニケーションの壁を越えていけるようにしました。何が良くて、何が悪いのか。同じ視点に立って教えていくとともに、ルール作りも行いました。こうした仕組み作りが、ホーチミンのスタッフを教育していくには重要であると感じています。

――ホーチミンへの進出を検討している経営者にアドバイスをください。

マーケットの変化のスピードが早いので、自らの目で見て、判断するのが重要です。現在、日本からは、多くの専門店が出店してきており、細分化が進んでいます。少し前までは、ラーメンも寿司も天ぷらもある店が主流でしたが、現在は、専門店しか生き残れません。これからホーチミンは、さらなる経済発展が見込まれています。それに併せて、ますます中間層が増えていきますし、日本企業の進出も多くなるでしょう。マーケットの変化とともに変わり続けること。それが、何よりも大切なスタンスだと考えています。

――今後のビジョンは?

13396615_1011820455539105_849702482_o60040歳になった今、3つの目標があります。まずは、ここまで私を育ててくれたホーチミンへの恩返しです。具体的な内容は検討中ですが、ホーチミンの方々がハッピーになれる店を作りたいと考えています。大衆酒場などができたら最高ですね。

次が、頑張っているスタッフへの恩返しになります。ホーチミンの給料相場は、日本で25万円もらっている方が、10万円になるイメージです。ほんの数年前は、当店のスタッフもガラケーだったり、バイクを持ってなかったりするのが当たり前でした。しかし、経済成長の影響もあって、今ではスマートフォンはもちろん、バイクも保有しています。それをホーチミンの方だけに店を任せることで給料を上げて、さらに上のレベルを目指せる環境を整えたいです。

そして最後に、私自身についてです。現在、ホーチミンでの経験を活かして、新たな国で挑戦したいと考えています。英語圏にチャレンジしたいという想いから、オーストラリアを検討中です。私は、家族と一緒に過ごす時間を第一優先にしています。好きな都市に住んで、家族との幸せも実現していきたいですね。

(聞き手/大山正、取材/三輪大輔)


吉村真太郎(よしむら・しんたろう)氏プロフィール
thumIMOTARO COMPANY LIMITED 代表取締役
大学卒業後、大手旅行代理店に就職。その後、フードビジネスの魅力に惹きこまれて、3年半で同社を退職して、独立へ向けた準備を開始する。2007年、五反田に「いもたろう」をオープンさせて、飲食店経営者として業界デビューを果たす。2012年8月には、ホーチミンへ進出して「Imotaro(いもたろう)」をオープンさせて、日系飲食店を代表する店舗へと育て上げる。現在、ホーチミンで「Imotaro」と「BBQ酒場 Nikutaro(にくたろう)」の2店舗を展開し、共同経営というスタイルで、カンボジアのプノンペンにも進出。アジア進出のノウハウを知り尽くした飲食経営者として、業界内外で注目を集めている。

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