筆者はシンガポールに会社を設立しており、ちょうどこの記事がリリースされる前にもシンガポールに来ていますが、まずは昨年2025年時点の現状を記事にすることにしました。
2026年の最新情報は改めて記載することにします。
### 2万円で飛べる「世界一高い都市」への入口
2025年9月。私は、自社を構える拠点でもあるシンガポールの地を改めて踏みました。
日本の飲食業界では「インバウンド」の恩恵と「原材料高騰」の板挟みが日常となっていますが、少し視点を外に、特に東南アジアのハブであるシンガポールに向けると、そこには数歩先を行く「狂乱と淘汰」のリアルが広がっています。
まず、意外な事実に驚かされるかもしれません。それは日本からシンガポールへのアクセスです。
LCCの増便や路線網の再編により、タイミングさえ合えば片道2万円を切るチケットも珍しくなくなりました。
かつては「高嶺の花」だったこの国が、物理的な距離とコストにおいては、福岡から東京へ移動するのと大差ないレベルまで近づいているのです。
しかし、一歩チャンギ空港に降り立てば、そこは「2万円の安らぎ」とは無縁の世界です。円安の影響を差し引いても、この国の物価上昇は日本の比ではありません。一杯のラーメンが3,000円を超え、カジュアルな居酒屋で軽く飲めば1万円札が軽々と飛んでいく。そんな「異次元のマーケット」で、今、何が起きているのでしょうか。
(※筆者も利用しているLCC)
### リバーサイドの「色」が変わった
かつてシンガポールの飲食シーン、特にクラークキーやボートキーといった「リバーサイド」エリアは、日本人駐在員と日本人観光客の聖地でした。
週末ともなれば、日本語の笑い声が川面に響き、そこには確かに「日本村」のようなコミュニティが存在していました。
しかし、2025年現在のリバーサイドを歩いてみると、その風景は一変しています。
客層のメインは、圧倒的に中国・インド系の富裕層、そして欧米からのビジネスエリートたちです。かつての主役だった日本人の姿は、相対的に影を潜めています。
(※閑散としだした、リバーサイド)
興味深いのは、客層は変わっても「日本食レストラン」の数は減るどころか、依然としてこのエリアの主役であり続けていることです。
つまり、「日本人が日本食を食べる」フェーズから、「現地の富裕層が、グローバルスタンダードなグルメとして日本食を消費する」フェーズへと、完全にステージが移行したのです。
高級寿司、炭火焼鳥、そしてクラフトサケバー。提供されるクオリティは日本国内のトップクラスと遜色ありません。
しかし、その背景にある経営環境は、日本のそれよりも遥かに過酷なものとなっています。
### 「家賃の脱法的値上げ」と高騰するコストの正体
今、シンガポールの飲食店オーナーたちを最も苦しめているのは、制御不能なコストの高騰です。
物価高はもちろんのこと、特に深刻なのが「不動産」の問題です。現地では、既存の契約を無視するかのような、あるいは法の網の目を潜り抜けるような「脱法的値上げ」の噂が絶えません。
「更新時に家賃を1.5倍に提示された」「応じなければ即刻退去を迫られた」……。そんな話が、冗談ではなくあちこちの厨房の裏側で囁かれています。
人件費も同様です。ワークパーミット(労働許可証)の締め付けは厳しくなり、現地スタッフの給与水準は上がり続けています。
「バレなければいい」、こう思う日本人は比較的少ないように思えます。いや、正しくはどこの国でも少ないです(そう信じたい)。
しかし、比率は少なくとも人口が多い国は、相対的にそう思わない人数も多くなってしまうのは当然の確率論です。
この状況下で、リバーサイドのような一等地に店を構え続けるのは、もはや「ブランドの誇示」に近いと言えるでしょう。
利益を出すことよりも、世界に対するショールームとしての機能を優先できる大手資本以外には、あまりにリスクが高い戦場になってしまいました。
### 次の勝機は「ハートランド」にあり
では、日本の飲食店に勝ち目はないのでしょうか? 答えは「ノー」です。
私が今、最も注目しているのは、観光客が足を踏み入れない、中心部から少し離れた住宅地区——いわゆる「ハートランド」と呼ばれるエリアです。
シンガポール政府は現在、中心部への集中を避けるための分散化政策を進めており、郊外の生活拠点には巨大なショッピングモールやHDB(公営住宅)に併設された飲食スペースが密集しています。
ここには、高給取りのローカルファミリー層や、リモートワークを定着させたホワイトカラー層が分厚いマーケットを形成しています。
彼らは「観光地価格」には敏感ですが、「日常の贅沢」には金を惜しみません。
派手な看板も、リバーサイドの夜景も必要ありません。求められているのは、「本物の日本の味」を、地元密着のコミュニティの中で提供する力です。
実際に、郊外の駅ビルに出店した日系チェーンや、住宅街の片隅でオープンした個人経営の居酒屋が、地元の常連客で連日満席になっている光景を目の当たりにしました。
高い固定費を払って観光地で消耗するよりも、この「ちょっと離れた地区」で、地域に根差した強いブランドを築く。これこそが、2025年以降のシンガポール攻略の最適解ではないでしょうか。
(※タンジョンパガー地区の街並み)
### 日本の飲食人に問われる「覚悟」
シンガポールはもはや、「日本食というだけで売れる」甘い市場ではありません。
世界中の資本が、最新のテクノロジーと圧倒的な資金力をもって殴り込んでくる最前線です。
しかし、2万円を切る航空券を手に、現地へ飛ぶことは容易になりました。
リバーサイドの変容に衝撃を受け、物価の壁に圧倒され、それでもなお、この国で勝負したいと思えるか。
家賃高騰の理不尽さを、郊外への戦略的撤退(あるいは進出)という知略で跳ね返せるか。
シンガポールの街角で感じたのは、日本食の底力と、それを取り巻く経営環境の激変です。
この熱量を、日本の飲食業従事者の皆さんに、単なる「海外事例」としてではなく、明日への「警告と希望」として受け取っていただければ幸いです。
次は、皆さんがこの熱狂の中に身を投じる番かもしれません。
編集長コラム
2026.02.13
【シンガポール現地事情2025版】変貌するリバーサイドと「脱・観光地」の勝機。高騰するコストの先に日本の飲食が見るべき景色とは

菅野 壮紀(かんの たけのり)
APPLILAB SINGAPORE CEO
飲食業界向けITソリューションを提供するAPPLILAB SINGAPOREのCEO。
シンガポールを拠点に、東南アジアを中心とした世界の飲食トレンド、Food Tech、店舗経営の最前線を定点観測している。
現地のリアルな事情に精通し、日本の飲食企業が海外の知見を取り入れるための架け橋として活動中。
https://applilab.sg/
























